『大切にされたものには命が宿るって言うでしょう？だから、大事なものなら大事にしなさい』

はい、と答える自分の声で目が覚めた。夢だったのだ。
起き上がってみると、ふすまの隙間から光が射し込んで広い部屋を薄明るく照らしている。どうやらもう朝らしい。けれど、隣にいるはずのおじいさんとおばあさんの姿が見当たらなかった。重たいまぶたをこすり叫んでみる。
「おじいさん、おばあさん」
パタパタと足音がして、す、とふすまが開く。やって来たのは。
「小唄……」
「かぐや様、ここは月です。地球のお二人のことはもうお忘れなさい」
小唄は月で私の身の回りの世話をしてくれる女官だ。
(ああ、そうか。ここは月なんだ)
帰ってからもう数年経つのにそう思ってしまった。
「ねえ、小唄……」
「地球の様子を見たいと言う話なら、駄目ですよ」
小唄は私の考えなどお見通しらしく、まだ何も言っていないのにそう言い放った。どうして、ああどうして様子を見るのさえいけないのかしら、と思ってしまう。
「もう何回も何回も駄目だと申し上げているでしょう。お気持ちはわかりますが、駄目といったら駄目です！」
小唄はため息をついた後、失礼します、と言って部屋を出て行ってしまった。
「どうしても駄目なのですね…」
独り言を呟いた。小唄の言う通り、何度もねだってはその度に断られている。理由もちゃんと聞いている。
――あなたにはあなたの仕事があるでしょう？
――下手に見ると余計に恋しくなってしまうでしょう？
誰に聞いても、何回尋ねても、返ってくる言葉は全て似たようなものだった。まるで指導書でもあるかのように。
「初めから地球に行かなければよかったのかしらね」呟いても何も変わらない独り言を、ため息と一緒にをそっと吐いた。

日にちが経っても状況が好転するわけでも、まして私の気持ちが変わるわけでもなかった。むしろ、募る一方だった。
――ふう。ああ、まただわ。また、ため息をついてしまった。食事も喉を通らない。ああ、一目でいいから。そうしたら、もう見たいなんて言わないから。もう一度、おじいさんとおばあさんを見たい。不老不死の薬を渡しておいたから、元気よね。きっと。
「失礼します」
「あら小唄。どうしたの？」
「食器を下げに参りました」
小唄はそう言って部屋に入って来た。食事は少し手をつけただけなので、何だか申し訳なかった。
「かぐや様、殆ど召し上がってないではないですか。具合でも悪いのですか？」
「具合は悪くないわ。ただ地球の様子が気になって食欲があまりわかないだけです」
小唄はふーっと長いため息をついて、キッと私を睨みつけた。
「かぐや様。そんなにお気になさるのならいいでしょう。ただし、この一回限りです。お二人がどんな状態でも、です。それでもよいですか？」
「はい」
はっきりと答えると、ではこちらへ、と小唄が外に出て手招きをした。中庭の池のところまで歩いていく。
「かぐや様、地球を見る方法は秘密なので目を閉じて、後ろを向いておいて下さいませ」
小唄の言うとおりに後ろを向く。
――ああ、やっとおじいさんとおばあさんを見ることができるんだわ。
「どうぞ池の中をご覧下さい」
その声を合図に私はいそいそと池の中を覗いた。そして、驚いた。
「あら…！ 私がもう一人いるわ！ いいえ…違う…あれは…掛け軸？」
「そうです。お二人がかぐや様の帰られた後、『お前がいない世では意味がない』と、不老不死の薬を燃やしてしまう程に悲しんでおられたので絵師に描かせて贈りました」
「そうだったの…。二人とも元気そうでよかったわ」
「当然絵は絵であり本物ではないのですが、竹に入れて贈ったので思い出には充分だと思われます。――大丈夫ですか？」
「……ありがとう、小唄。もう大丈夫」
呆けている私を気遣った小唄に微笑んで返す。
「それはよかったです。では、お部屋にお戻り下さい」
小唄に促されて部屋に戻る。

ふすまを開けた私はまた驚いた。そして独り言。
「ただいま。おじさん、おばあさん」
そこにはおじいさんとおばあさんが描かれた掛け軸があった。私が池を見ている間に小唄が誰かに飾らせたのだとすぐ気づいた。もしかして、この絵が完成するまでわざと私に地球の様子を見せなかったのだろうか。少し騙された気分だけれども、感謝と共に大満足だった。たかが絵だけれども、思い出には充分。先程の小唄の言葉が思い出される。私は二人のことを思い出とみなすことができるような、未練を断ち切れるような気がした。

その夜、おじいさんとおばあさんに見守られて私は眠りについた。いい夢を見られるような気がした。